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HISTORY

RealBvoiceの歴史
ハワイのオアフ島にあるマカハから始まった、これまでの"RealBvoice"の歴史。 BUFFALO KEAULANA(バッファローケアウラナ)のメッセージである、”家族の大切さ” 、 ”海の楽しさと厳しさ”を世界に、そして未来の次世代に伝え続けている。

マカハビーチ

MAKAHA

ハワイ・オワフ島の西部に位置する美しいビーチタウン、マカハ。
サーフィンの聖地ハワイの中でも、特別な場所として名高いビーチである。

マカハビーチ2

この地は数多くの優秀なウォーターマンを生み出す事で、世界中にその名を知られている。
50年代から60年代にかけマカハは『マカハ・インターナショナル・サーフィン・チャンピオンシップ』という世界大会が開催され、世界のサーフシーンのまさに中心地であった。
その実情はコミュニティをまとめ上げる存在がおらず、秩序の無い一種の無法地帯になってゆく。そこへ1人のライフガードが現れ、マカハへ徐々に秩序と規律をもたらす事となる。バッファロー・ケアウラナその人である。彼は荒れすさんでいたマカハのコミュニティを少しずつまとめ上げてゆき、海から離れていた子供たちを海へと呼び戻した。
バッファローにより、今世界に知られているマカハの姿を一から形作られてきたのである。

BUFFALO KEAULANA

バッファロー・ケアウラナ

1934年、バッファロー・ケアウラナはオワフ島のホノルルにて生を受けた。
幼い頃に母親と離れ離れになった彼は、ウエストサイドのビーチタウンで幼少期を過ごすこととなる。この地で生き抜かなければならなかった彼にとって、海は食べ物を与えてくれる場であり、時には寝床にもなった。まさに、一日の大半を彼の家となった海こそが、マカハである。
マカハから多くの物を与えられ学んだ彼は、後にマカハの為に生きる道を自然と選ぶ事となる。
「マカハ・インターナショナル・サーフ・コンテスト」が始まるとバッファローは有力選手の一人としてこれに参戦し、何度か決勝まで進んだ後、ついに1960年にこれを制する。
また1960年マカハの公園管理人として雇われたバッファローは、時に凶暴な表情を見せるこの海で数多くの命を救い、その功績が認められ1968年に正式にマカハのライフガードに任命され、1996年までの34年間ライフガードとして勤め上げることとなる。

BRIAN KEAULANA

『マカハの誇り』と呼ばれ、バッファローファミリーの長男のブライアン・ケアウラナ。
ロングボーダー、ショートボーダーといった一つの枠にはまらないトータルサーファーであり、ハワイ屈指のウォーターマンとして多くの賞賛を集める。
バッファローから受け継いだレスキュースキルをさらに追求し、海にどんな危険があるかを知り、その危険をいかに見抜くことができ、回避することができるかというWATER RISK MANAGEMENT(危機管理)を提唱し、ウォーターバイクを使用した人命救助のノウハウを開拓してライフセービングの世界に導入した人物としても知られている。
また世界的なSUPブームの火付け役でもある。
現在はライフガードの公職を離れ、プライベートのウォーターパトロールを組織し、サーフィンの大会などで安全管理や映画のスタントなのでも活躍している。

BUFFALO’S BIG BOARD SURFING CLASSIC

1977年から開催され歴史あるコンテスト『バッファロービッグボードサーフィンクラシック』
『子供達には、せめて何か夢中になれる事をあたえてやりたい。』そんなバッファローの願いが形になり始まったコンテスト。第一回はロングボードの競技カテゴリーのみだったが誰もが楽しめるようにと開催回数を重ねるたびに競技カテゴリーが増えている。
いまや子供たちはもちろん、世界中から参加者が集まるほどに成長。世界でも唯一無二の、笑顔と歓声があふれるユニークな大会。
マカハではこの大会や普段の生活を通じて海の楽しさ、厳しさを子供たちが学んでいく。その伝統はさらに発展しながら、次の世代へ…

RealBvoiceは、そんな彼らの、バッファローファミリーのマカハの地で気づきあげてきた伝統を形にして伝えるブランドである。
“真のバッファローの声”を世界へ、そして未来へ伝える為に…